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インフルエンザの撲滅に向けて

新型インフルエンザのパンデミックの脅威が語られている。

新型インフルエンザのパンデミックがいつ起こるのか、どのくらいの
被害が出るのかは、正確なところはわからないだろう。

しかし、新型インフルエンザのパンデミックが起これば、甚大な被害
が出る可能性がある。

新型インフルエンザではない、通常のインフルエンザも、社会に対し
て多くの被害を与えている。

インフルエンザの撲滅に向けた研究・開発等に、アポロ計画以上の規
模の力を注ぎ込むのはどうだろうか。

インフルエンザ・アポロ計画

新型インフルエンザのパンデミックを防止したり、軽くできれば、
多くの人命救助に役立つだろう。

ウイルスに効く薬を開発することは昔は難しかった。抗生物質は
ウイルスに効くものがなかなか見つからなかった。

しかし、コンピュータの発展は、インフルエンザに効く薬を設計
できる可能性を提供してきている。

アポロ計画以上の予算をかけて、インフルエンザの撲滅をするの
に適した時代になっているのではないだろうか。

コンピュータの発展には、多くの理系が関係している。電気、材料、
化学、機械などの総合的な科学技術の発展が、コンピュータの発展
を促し、ウイルスに効く薬の開発を促進している。

このように、広範な分野の理系が、人命救助に役立っているといえ
るだろう。

理系の連帯による人命救助の可能性に、多くの人が目を向けていく
ことが重要なのではないだろうか。

科学技術の発展と人命救助

科学技術の発展よりも文化の発展の方が人命を救助するという意見もあります。しかし、本当にそうでしょうか。

科学技術の発展は、多くの人命を救助してきました。

アフリカの文化が他の地域の文化より遅れているとは必ずしもいえないでしょう。しかし、アフリカの科学技術は遅れています。

日本の江戸時代の文化が、当時の西洋の文化より劣っていたとは必ずしもいえないでしょう。しかし、日本の江戸時代の科学技術は遅れています。

日本の江戸時代の平均寿命は20歳台のようです。

たとえ優れた文化を持っていても、科学技術の発展度合いが低ければ、人命は失われます。人間の体が物質で出来ている限り、科学技術の人命救助における役割は大きいと思われます。

平安時代の文化が、現在の文化より劣っていたとは必ずしもいえないでしょう。しかし、平安時代の平均寿命は、10歳台のようです。

優雅に人々が暮らしていたなどというイメージは必ずしも正しくはないでしょう。生まれた子の多くは成人前に死に、成人後も疫病、飢饉などで人々は死んでいったのです。

科学技術関連人材による人命救助

科学技術関連人材による人命救助は、理系の地位を向上させる一つの動機になるであろう(http://rikoukei.com/douki.html)。

理系の中で、医師の地位が高いのは、人命救助の観点から、医師の地位を高くするという社会的コンセンサスがあるからと思われる。

医師の地位向上は、優秀な人材を医師に集め、それが人命救助の確率を高める。すなわち、医師の地位向上により、人命救助がなされる。

問題は、医師以外の理系の地位を高くすることが人命救助にとって効果的なのかである。

医学は、人類の科学技術の体系と無関係に存在するわけではない。医学の進歩は、理学、工学、薬学、農学など色々な科学技術の分野に支えられている。

優秀な人材を理系に集めることが、科学技術の発展による人命救助にどの程度有効であるかは、研究課題となるだろう。

300年程度の時間規模で見ると、科学技術の発展を抑圧した社会は人命救助の点からかなり不利になるだろう。

たとえば、江戸幕府が現在でも続いていたら、今でも多くの人が疫病や飢饉におびえなければならないかもしれない。

江戸時代の平均寿命は、20歳台といわれている。現在であれば救える命も、江戸時代では救うだけの科学技術力がない。

江戸幕府が医者だけを優遇し、士農工商で、技術者を冷遇した場合、丸薬の作り方は進歩しても、電子顕微鏡やX線CTなどは生まれない。

医者だけではなく、幅広い科学技術分野の人材の地位を向上させることが、長期的には人命救助となるのではないだろうか。

この点についてはさらに研究を進めていく必要があるだろう。

新型インフルエンザ対策への戦略的資金投入

新型インフルエンザ対策への戦略的資金投入が重要ではないだろうか。

パンデミックが起こった場合の予想される死者の数からして、戦略的資金投入をして少しでも多くの人命を救助することが重要と思われる。

新型インフルエンザのパンデミックが起こったときの死者はおそらく莫大なものであり、それに戦略的に莫大な予算を投入しないというのは不合理に思われる。

日本は危機が実際に起こらないと動かない面がある。しかし、危機が起こってからでは遅すぎるのではないか。先を予想して、戦略的に予算をつぎ込み、研究と対策を行なうことが人命救助につながるのではないか。

人類は、新型インフルエンザに理系なしで立ち向かえるだろうか。それは難しいであろう。理系がいなかったら、新型インフルエンザになすすべがなくなってしまう。広範な理系による対策が必要なのではないか。

たとえば、都市も新型インフルエンザのことを考えて整備する必要があるだろう。建築の分野もそうである、食料の備蓄室などのシステムも必要だろう。ライフラインや物流も、新型インフルエンザのことを十分に考えて対策を立てるようにする必要があるだろう。

このような対策に、戦略的に研究予算をつぎ込んでいくことが重要だろう。それにより、感染が1%減ったとすれば、仮に死者が50万人の場合、5000人もの命に影響してくることになる。

戦略的な資金投入により理系の人々の力を結集し、新型インフルエンザの総合的な対策を考えなければならないであろう。医療だけではなく、パンデミックの際の物流、交通、建築、通信などの対策を進めることで、感染の広がりを1%抑制しただけでも、相当の人が助かるだろう。

医療の分野だけではなく、色々な分野に従事している理系が、新型インフルエンザのパンデミックを想定して対策を進めることに対し、戦略的な予算の投入をすることにより、死者の数を少しでも減らすことが重要であろう。そのために理系の果たす役割は大きいだろう。

脚気と結核 − 2大国民病の克服

脚気と結核が2大国民病であった時代がある。日本人の多くが、脚気と結核によって死んでいった。エイズなど現在恐れられている治療の難しい病気よりも、はるかに多くの日本人が脚気と結核によって死んでいったのである。

現在では、脚気と結核でそんなに多くの人が死んだのかいぶかしく思う人もいるかもしれない。現在の2大国民病を強いて挙げれば癌や心臓病ということになるであろう。癌や心臓病で多くの人が死ぬことをいぶかしく思う人はいない。

しかし、将来の日本において、なぜ癌や心臓病で死んだ人がいるのか多くの人がいぶかしく思う時代が来なければならないだろう。

将来は、たとえば細胞の分化を制御できるようになり、癌が治るようになってほしい。また、たとえば血管を修復して心臓病を治すようになってほしい。

それらの技術がどこから来るのかは分からない。たとえば、iPS細胞など細胞の分化の基礎研究は重要であろう。しかし、多くの科学上の発展が、思いもよらない方向から来ることがあることは重要である。科学技術の全体的な発展が望まれている。

脚気と結核の2大国民病の克服という科学技術の輝かしい勝利を過小評価してはならないだろう。科学技術の発展による人命救助に向けて理系の貢献が望まれている。

難病と科学技術投資

難病の解決には、科学技術投資が重要である。特に、難病にかかっている人が少ない場合、企業は難病の研究開発投資をしても回収できないとして積極的にならない危険があるだろう。国を挙げて科学技術に資金をつぎ込むことにより難病の研究を進める必要があるだろう。

難病に限らず、病気、事故、老化から人々を救うために、人類の科学技術水準を全体的に高めていかなければならないだろう。

脚気など、過去に難病とされた病気を人類は多く克服してきた。科学技術の水準を全体的に高めていくことによる人道支援を行なわなければならないだろう。基礎研究も含めて、国を挙げての科学技術投資が必要である。

科学技術の発展は最大の人道支援

科学技術の発展は最大の人道支援といえるでしょう。

たとえば、人類の歴史を見ると、平均寿命の伸びに最も貢献しているのは科学技術の発展によるものではないでしょうか。

飢饉の村を救うなど色々な人道支援がありますが、世界と日本の貧困の緩和に最も貢献しているのは、人類の歴史を振り返れば、科学技術なのではないでしょうか。

飢饉の村を援助物資により救うことは大切でしょう。しかし、科学技術の発展は、飢饉の村を援助物資により救うよりも永続的に飢饉の村を救っていくことができるでしょう。江戸時代の飢饉の村は、現在の日本からは一掃されてしまいました。

科学技術の発展により、多くの人命が救助されてきました。

これは医学の発展ばかりではなく、科学技術全体の発展によるものでしょう。

たとえば、エジソンの電球は、1人の医者が救えるより多くの命を救ってきたでしょう。燃焼による火事による人命損傷をはじめ、手術室を電球で照らすこと、暗い場所での作業を安全に行なうことなどによる人命救助の効果もあったと思います。

科学技術の発展は最大の人道支援ということができるでしょう。

C型肝炎の救済と新しい治療法の研究開発の重要性

薬害肝炎の問題が報道されているが、薬害が証明できるか否かにかかわらず、C型肝炎で苦しんでいる人に対しては、広く救済が必要ではないだろうか。

C型肝炎はC型肝炎ウイルスにより引き起こされる感染症である。人類は科学技術の進歩により多くの感染症を克服してきたが、C型肝炎はまだ克服されていない。理系の研究開発により、ポリエチレングリコール(PEG)付加インターフェロンα等の新しい治療法等が開発されているが、今後の研究開発の余地が多い。

科学技術の進歩は多くの人々を恐ろしい疾患から救った。現在では恐ろしくなくなった多くの疾患が、昔はC型肝炎やそれ以上に恐ろしい疾患だった。科学技術の進歩が人命救助になるという視点が重要だろう。

C型肝炎の治療費等への助成は、人命救助のためであり、生きたお金の使い方といえるのではないか。

しかし、現在の科学技術水準を前提とした治療で治る人ばかりではない。本当の救済は、現在の科学技術水準を上げ、C型肝炎の治療法を進歩させることではないだろうか。基礎研究を含め、C型肝炎についての研究開発が重要である。

現在の科学技術水準を上げて、C型肝炎の新しい治療法を開発することについて、人命救助の視点があることを、国民に周知していくことが重要だろう。無駄遣いをやめ、C型肝炎患者の全員救済のための研究開発に、もっとお金をかけることが重要なのではないだろうか。

C型肝炎の新治療法の開発には、医学研究者だけでなく、多くの理系の力が必要となるだろう。ゲノム創薬と分子標的薬でも述べたが、科学技術は全体として発展するものである。難病と理工系でも述べたが、理工系こそが医学の進歩の鍵を握っているといえるだろう。

C型肝炎に限らず、人類が病気を克服するためには、現在の科学技術水準を全体として引き上げていく必要があるだろう。

そのためには、科学技術の発展を加速するために、科学技術と理系に関する関心を高めていくことが重要となるだろう

平和な世界をつくるために

科学技術を扱う理系にとって一番重要なのは倫理であろう。

原爆は、科学技術の負の面である。平和な世界を作ることが重要である。

平和な世界を作るために、理系は強い倫理感をもって科学技術を扱っていくことが重要だろう。

理系の倫理が、平和な世界のためには必要である。

また、理系の生み出した兵器の使用権限は、文系が持っていることが多い。平和な世界を作るためには、文系の倫理も同様に必要である。

難病と理工系

筋肉が骨になる病気(FOP)の話をテレビで見た。難病の人が議員に働きかけて、難病認定がなされたということである。それにより研究が進むそうである。すばらしいことである。

あまり認識されていないかもしれないが、理工系こそが医学の進歩の鍵を握っている。理工系の地位向上運動は、科学技術水準を全体的に引き上げ、ひいては難病の人を救うことになる。科学技術の進歩により、人類の科学技術水準を平素から上げておくことが、難病の人を救うことになるのである。

FOPの場合、原因となる遺伝子が特定されたそうであるが、これは遺伝子工学の進歩による。難病の研究は難病の研究だけではなしえない。基礎的な研究の積み重ねの上に、難病の研究がある。

そして、遺伝子工学の発展は、化学分析技術、コンピュータ技術の発展に支えられており、それらは材料技術、電子技術など数多くの理工系の科学技術に支えられている。平素から全科学技術分野にわたって、科学技術の振興が重要である。

医学だけではなく、全科学技術分野が医療に関係しうることは、以下の記事でも述べた。

ゲノム創薬と分子標的薬
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