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奨学金は理工系の振興の鍵

理工系の振興には、奨学金を充実することが鍵となる。

理工系に進学するのはお金がかかることが文理格差の原因となっている。文系の場合には学部卒ですぐに給料が得られるが、理工系の場合、専門的なことをやろうとすると修士までお金がかかることも多い。特に理工系にとって、奨学金が大事であろう。

奨学金も国から民間に回されたようだが、営利事業ではないので、民間では限界だろう。こういう分野こそ、国家予算を惜しみなくつぎ込んでいく必要がある。奨学金は、理工系の振興の鍵なのである。

技官の地位向上

技官と事務官の待遇の格差が大きいようだ。事務次官や局長クラスには、技官よりも事務官の方が圧倒的に多い。しかし、技官と事務官のバランスが重要だろう。

理工系の地位向上の観点からは、技官の地位向上が重要だ。技官は理系出身であることが多い。技官の昇進、給与などは、事務官とほぼ同様であることが、理系に進む人を増やす点で望まれるであろう。

技官の待遇、処遇、給料、出世、昇進などの問題については、多くが語られていない。技術者や研究者の処遇に比べると多くの人が関心を抱きにくいが、極めて重要な問題である。技官と事務官の給与の差があることが、すなわち文理格差につながるからである。そして、理科系に進学、就職しようとする子供達にとって、技官の地位が事務官の地位よりも低いということは、ショックを受けることであろう。

技官は日本の科学技術を影で支える縁の下の力持ちである。なかなか国民の関心が向きにくいが、技官の地位向上、待遇改善は日本の未来にとって大事である。技官を大切にし、技官になることに多くの若者があこがれるような社会が望まれる。

技官には、色々な類型があるであろうが、科学技術を支えたり、技術者を支える役割もあるだろう。技官単独では数が少なく、発言力が弱いが、技術者との連帯により、技官の地位を高める必要があるだろう。

技官の法的な地位の確立も重要である。技官と事務官の区別や差別をなくすことも重要だろう。技術を扱う事務官や、技術関係以外の事務を扱う技官が必要であり、あまり両者の間に固い区別を設けるのはマイナスであろう。

技術者、研究者の人も、技官にもっと目を向け、技官を全力で支援することが重要だろう。技官だけでは、力が弱く、主張が通りにくい。技官の地位を向上させ、技官の待遇を改善し、技官が事務次官や局長クラスにもっと上がることができるようにすべきであろう。

また、特に優秀な技官には、特に高い待遇を与えるのも良いだろう。アインシュタインも技官であった時期がある。技官は、科学技術の歴史上の偉人が、一時期滞在する可能性のあるポストである。技官と科学者、技術者の交流を深めるべきであろう。

技官にも、理系技官、工学系技官、理科系技官、薬学系技官、農学系技官、医系技官、文系技官など、色々な技官が存在する。また、勤務先についても、省庁、大学、研究所など色々な技官が存在する。このような技官の多様性から、技官の地位の向上や待遇の改善について、なかなかまとまりにくい面はあるだろう。しかし、技官が日本の技術立国のために、大きく連帯をし、強力に地位を向上させることが、日本の未来に重要である。理系に進学、就職する際の選択肢の幅という点でも、技官の地位が高いことは重要であろう。

課長補佐以上のポストといわず、トップのポストも、技官と事務官が均等になるようにするのが好ましい。技術的な事項が多くなっており、日本の舵取りにも技官の役割は大きい。

公務員の制度改革により、技官の地位を高めることが重要であろう。この場合、技術者、研究者が強く技官の地位を高めることを願い、運動することが重要となる。国家公務員、地方公務員を問わず、技官が技術者と共同して、日本の技術立国を考えていくことが技官の職務となるだろう。

技術立国の立案には、技官、技術者、研究者等の技術系の人々が知恵を出し合うことが大事である。

また、技官に夢のあるポストが必要であろう。技官になれば、最高の仕事をして日本の産業立国に貢献できるというポストである。技官の一般的な昇級昇格の問題だけではなく、技官の最高クラスが国家を動かしていくという特別な扱いが技官の地位向上に有用だろう。技官の中で最も優秀な人が、スター技官となるような制度である。

科学や技術の世界ではノーベル賞がある。技官の地位向上には、最高の才能を持った技官が、とてつもなく高く処遇されることが重要であろう。俸給表にしばられては硬直化する。文系、文科系の基準では、官職や身分や出世が大事であり、そういうものも、技官にとっても大事であろう。しかし、技官ならではの、とてつもなく高い処遇が望まれるであろう。技官に職務発明を認めるとか、技官だけが受賞できる権威のある賞を作るなどが考えられる。技官を極めることにより、最高のレベルに到達するのである。技官というと科学者よりも一見地味にも思う人もいるかもしれないが、ホームランバッターだけが必要なわけではない。ゴールデングラブ賞も必要である。極めれば神業の領域に達するのである。

技官の研修、教育も大切であろう。技官がその能力を強力に伸ばすことができるようにする必要がある。人事異動も、技官の経験を増やすことを念頭に置くべきであろう。官房長と技監も、技官や事務官にかかわらずなれるようにすべきであろう。

国家公務員試験、地方公務員試験も変える必要があるだろう。技官と事務官を一括で採用するようにすべきであろう。国家公務員?種 国家公務員?種 国家公務員?種などという区分もなくし、優秀な者を選ぶようにするのがよいだろう。そのために、一回は民間に出して、技術者、研究者と交わるようにし、技術者、研究者のレビューを受けるようにするのがよいだろう。また、国家公務員1種 国家公務員2種 国家公務員3種などの採用試験の合格者でなくとも、民間から卓越した人を技官として採用し、そのような技官がやがて事務次官になれるようにすべきであろう。

技官と事務官が、ほぼ同じくらいのポストを占めるのがよいであろう。それとともに、技官の中で専門職として、技術の現場により深く携わる者を技術専門職技官として処遇すべきであろう。

技官の処遇問題については、技術者、研究者など広範な理系、理科系、理工系との連帯が必要である。技官とその他の理工系人材が力をあわせることで、日本の科学技術と産業の未来が切り開かれるのである。

ポスドク1万人計画

ポスドク1万人計画は、日本の理工系の問題を典型的に表している事例である。

ポスドクの数を増やせば科学立国に資するという計画だった。一見すると、人数は増える方が科学立国のために良いように思える。しかし、これにより、博士の地位は低下してしまった。博士なのに職に就けないというひどい状況が出現してしまった。ポスドクの数を増やせば、科学立国ができるという単純な考え方は正しくないのではないか。ポスドクの地位が低下すれば、優秀な人材が博士にならなくなる。博士の地位が低下すれば、長期的には、科学立国に反することになる。ポスドク1万人計画が博士の地位を低下させるとすれば、長期的には、科学立国に反することになると思うのだが、そのような意見は恐らく通らないだろう。

ポスドク1万人計画のように、どんどん人数を増やすことは、今後も行なわれるであろう。これは理工系の地位を劇的に引き下げる。

博士に行くことは大きなリスクになってしまう。無職になる危険をおかすのは誰でも嫌なものだ。だから、本当に優秀な人が博士に行くことを躊躇することになってしまう。しかし、それでも人数を増やした方が研究論文数等は増えるだろうし、博士の価値は下がっても、数でカバーすればよいと考える人は多数派であり続けるだろう。だから、今後も、博士や理工系の地位は下がっていくことをとめることはできそうにない。本ブログは、このような流れを食い止めたいと思うが、見てくれる人もあまりいないようだ。

ポスドク増員というと科学立国のためになりそうで聞こえが良すぎる。そこで、むしろ博士の地位を低下させる計画と名づけた方がよいだろう。博士の地位を低下させればさせるほど科学立国が進むという考え方を正面に出していく必要がある。

要するに、ポスドクの地位を低下させ、質よりも量で勝負することが、科学立国に資するという考えである。たとえば、10万人のポスドクを作り、さらには100万人のポスドクを作ればよい。ポスドクという言葉が、ニートを意味するようになるところまで、ポスドクを増やし続ける。

そうすれば、本当にそれが科学立国に資するかどうかが明らかになるだろう。博士の数を増やせば増やすほど、科学立国を実現することに近づくと考えている人がたくさんいる。いっそのこと、1000万人を博士にしてもよいだろう。

そうすれば科学立国ができるのだろうか。できると考えている人はたくさんいると思う。1万人で研究するより、1000万人で研究する方が、効果が上がるように一見見える。研究論文数も増えるだろう。だから人数は増やせば増やすほど科学立国に近づくと考える人も多いのだ。

このような考え方が支配的であれば、これからも博士の地位、理工系の地位はとめどなく引き下がっていくだろう。もしこのような考え方が続くのであれば、優秀な人材が理工系に進むのは危険すぎる賭けとなる。

このまま行くと、人数を増やせば科学立国ができるという論調は今後も強くなることはあっても弱くなることはないだろう。1万人のポスドクより、その1万人と残り99万人のポスドクの方が、研究成果が出そうだという考え方を変えるのは難しい。増やせば増やすほど科学立国に近づくという考え方を論破するのは難しい。だから、人数の増員を論破できない。論文数も増えるし、研究成果も増える。人数は増やせば増やすほど表面的には研究成果が増えていくのだ。だから科学立国を実現しようと考えれば人数を増やすという話が出てくる。これからも、人数を増やせという大合唱は続くだろう。科学立国の重要性を人々が認識すれば認識するほど、人数を増やせという論調は強くなっていく。そして、それはとどまることなく、博士と理工系の地位を引き下げていく。

昔は、大臣と博士が並び称されていたことを知らない人も多くなったのではないだろうか。今は博士が大臣と同じ地位だという人はいなくなった。それでも、博士に進む人は絶えることはない。どんなに博士の地位が低くなっても、博士になる人はいなくならない。だから、博士の人数を増やすことはできる。しかし、本当に優秀な人は、博士にならなくなっていくだろう。それは、科学立国の終焉を意味するのではないだろうか。

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