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理系離れの原因

理系離れの原因が、教育の間違いにあるとか、理科離れを防止し、理科に興味を持たせる活動が足りないなどにあるという論調がある。

しかし、これらの説は、なぜ「医者離れ」が存在しないのかを全く説明できない。

理系離れの原因は、理系(医者などを除く)の地位が低いことにある。それは、「医者離れ」などというものが存在しないことから明らかである。

医学部に行きたい人が減ってしまって、医学部の偏差値が低下して困るという話は、聞いたことがない。

医者離れを防止するために、学校に、医学教室などを作って、みんなを医者にするため必死になるという話も、聞いたことがない。

医者の地位が高いので、「医者離れ」どころか、多くの人が医者になりたくてなりたくてたまらない状態になっている。

優秀な人材が、医学部に殺到し、「医者離れ」など起こりようがないのである。

理系離れの原因が何かは明らかである。教育の間違いにあるとか、理科離れを防止し、理科に興味を持たせる活動が足りないなどにあるという見解は、なぜ「医者離れ」が起こらないのかを、全く説明できない。

理系の地位を高めれば、理系離れは終わる。

技術者や科学者にみんながなりたがり、優秀な人材が、医学部と同じように、理学部、工学部、農学部、薬学部等に殺到することになるのである。

理系離れの原因についての論争を終わらせなければならない。

正しい対策をして、問題を解決するためには、真の原因を捉えることが重要である。

世界と日本の貧困問題と理系の連帯

世界と日本の貧困問題は、非常に重要な問題である。

世界には、多く飢えている人がいる。これは、メディアやホームページ等で多く解説されている。

日本は、昔は貧富の差が少なかったが、現在では格差社会が進展し、貧しい人が増加してきた。これも、多く問題になっている。

しかし、世界と日本の貧困の緩和には、理系の連帯が必要であるという主張は、従来存在しなかったであろう。

これらの問題の解決のために、理系の連帯の重要性を指摘するページである。

世界と日本の貧困問題と理系の連帯

科学者の地位向上

科学者(研究者)の地位向上は、重要である。

科学者の場合、基礎研究が多いため、政府の役割が大きい。科学技術関連予算を増やし、日本は、科学立国に邁進すべきである。

科学者の地位向上にも、理系離れは悪影響を与えている。

優秀な科学者の卵が、理系に進むことが重要である。そのためには、科学者の待遇は高くなければならない。

科学者は世俗的な欲求が少ないので給料は低くてよいという考えが日本に広まっている。しかし、科学者にも色々な人がいるので、このような見方は一面的である。

色々なタイプの優秀な人材が、科学者を目指すことができるように、科学者の給料は高くなければならない。また、家庭が貧乏な者が、科学者を断念することがないように、奨学金の充実が重要である。

科学者は、理系ばかりではない。人文科学、社会科学の科学者も、重要である。自然科学の科学者と連帯して、科学者の地位向上を図る必要がある。

日本が、世界最先端の科学立国を目指すために、科学者の連帯が重要となる。日本が、世界で一番科学が進んだ国と言われるようにならなければならないのである。

弁理士、技術士、建築士等の地位向上

建築士、技術士、弁理士などは、理系の資格者ということができる。

一部文系も存在するが、理系にとっては憧れの資格といってよいであろう。しかし、これらの理系資格者の地位は、低下傾向にある。

建築士の待遇が低下した。待遇の低下も一要因となって、プロフェッショナルとしてあるまじき行為が行なわれてしまうこともあった。

技術士は、独占業務を持たないため、技術者の最高資格であり、試験が難しいわりには、待遇がよくない。

弁理士は、人数が増えるとともに、待遇が急速に低下した。

人気が出た資格もあるが、全般的な傾向としては、理系の地位低下とともに、理系資格の地位低下も著しくなっている。

これは、理系離れをさらに加速させるであろう。理系の連帯の観点からは、さまざまな理系資格の地位向上も必要となるだろう。

技術職人の地位向上

技術職人(大工、工芸品、伝統技能等)の地位向上も重要である。

これらの技術職人は、技術・技能を長年にわたって磨いてきた。その技能が伝承されるようにしなければならない。

技術職人を育てていくシステムも重要だろう。丁稚奉公が代表的なものであるが、現代の若者は、古いやり方に必ずしもなじまない。

技術職人のすばらしさを広め、若い人が抵抗なく、技術職人の道を目指すようにすることが重要である。

技術職人は、少しずつ技能、技術を磨いていくことができるので、博士のような研究者より有利な面がある。博士の研究者としての能力のピークは、若い頃にある。技術職人は、体力が必要なものもあるが、物によっては、歳をとってから円熟することもある。

技術職人による日本の技術の発展のためには、技術職人の社会的地位を高めていく必要があるだろう。

技術者、研究者の待遇改善

技術者、研究者は、日本の運命を支える極めて重要な立場にいる。

それにもかかわらず、理系離れが生じているのは、専門が高度化し、多くの勉強を一生し続けないと技術の進歩についていけないので、苦労が多いわりに、あまり報われていないという印象があるからだろう。

専門が高度化した分は、技術者の待遇が上がってよいはずである。昔の技術者より、今の技術者の方が待遇が良くてもよいはずなのである。

しかし、社会が技術者、研究者に報いる方法は、技術ほどはかわらない。技術が2倍高度化しても、2倍の給料をもらえるわけではない。だから、文系の人の方が次第に有利になっていく。理系の人は、高度な勉強をしても、待遇が上がらない。

待遇÷勉強の高度さを、待遇指数と呼ぶと、理系待遇指数は、文系待遇指数よりも、圧倒的に悪くなっている。この傾向は、技術の進歩とともに加速していくのである。

学生も、安易に流れるわけでは決してないだろうが、あまりの待遇指数の違いに、理系に進むのに二の足を踏んでいるのであろう。

理系の学生は、どんなに勉強をしても、文系には待遇で及ばないことを肌で感じ取って、理系離れをしているのである。

技術者、研究者の地位の向上は、技術者、研究者のためだけではなく、将来、理工系に進もうとする学生のためにも重要である。

理系の連帯

日本の将来にとって、理系の連帯の重要性は極めて大きい。

日本が先進国家として生き残れるか否かは、理系の連帯が成功するか否かにかかっているだろう。

理系の連帯に失敗すれば、理系離れはとまらず、人材面から日本の理系企業は崩壊してしまう。

理系企業は、理系を安く使ってその場をしのごうとするが、それは理系の共倒れを生む。そして、理系も理系企業も、長期的にはだめになってしまう。

理系企業と理系の連帯により、長期的な視野で、国家百年の計を立てる必要があるだろう。

理系企業の地位向上

製造業の地位向上よりも、広い概念として、理系企業の地位向上のページを加えました。

理系企業は、理工系の主な就職先です。日本の理系企業の地位向上、理工系の地位向上、及び日本の地位向上は、それぞれ関連した問題です。

製造業の地位向上

製造業の地位向上を加えました。

製造業は、日本の生命線とも言える重要な産業です。しかし、製造業は、厳しい国際競争を強いられています。そのため、一部の非製造業と比べると、従業員の年収が低くなる傾向があります。

製造業離れが起こっており、日本の製造業の崩壊の兆しが、人材面に現れてきているのです。

博士とプライド − ポスドクの死者、行方不明者の本当の原因

博士の就職は、学卒や修士より難しいことがある。ポスドク問題である。

使う側も人間なので、博士のプライドに使いにくさを感じるのであろう。使う側は、プライドが低く、何でも言うことを聞き、雑事もしてくれる人間を好む傾向がある。博士の能力が高いかどうかは、二の次と思っている人もいるであろう。

一方、博士は、プライドが高く、能力が高いことが重要と思っている。専門教育を受けたのだから当然であろう。

博士になることにはリスクが大きすぎる。ポスドク1万人計画と博士の就職難に示されるように、博士になるには、約3000万円(あるいはそれ以上)の先行投資が必要だからである。

約3000万円のほかに、プライドが高くなるという代償が加わる。これは本当は代償であってはならないのだが、現実には、日本社会ではプライドが高いと辛い思いをすることが多い。これは、博士になった以上は、一生の苦しみとしてついてまわるものであり、お金には換算できないほど大きなマイナスといってよいだろう。

すなわち、博士になるには、約3000万円の先行投資と、高いプライドという、はかり知れないマイナスを背負うことになる。

博士が、プライドに見合った就職先を確保できる社会にしない限り、博士の苦しみは続くであろう。博士が増えたわりには、高度な研究所やアカデミックポストが少なすぎるのが、根本的な問題である。一般の会社に入れば、博士の専門性を、あまり評価せず、プライドが高い博士を嫌う人間が数多く存在し、博士を苦しめることになる可能性が高い。

会社の上司は、博士のプライドを捨てさせ、雑事に携わるよう、色々な圧力をかけてくるだろう。プライドを捨てることが、優秀な兵隊さんになる条件だからだ。軍隊教育である。使用者は、兵隊さんがほしいことが多く、指揮官、専門官がほしいことは少ない。多くの兵隊さんから搾取した方がうまみがあるからである。

このような社会の現実は、博士課程に入る前の学生によく教え、書面による同意書(インフォームドコンセント)を取るべきである。それなしで博士に進ませることは、その後の博士の苦しみを考えれば、許すべきではないだろう。

博士が、研究による自己実現もできないまま、プライドを捨ててひたすら兵隊として喜んで働くことができるはずがない。しかし、使用者は、執拗にそれを迫ってくるだろう。そして、あの人は協調性がないという評価がなされる。このような社会に、プライドが高くなった博士をさらせば、ポスドクの行方不明者、死者が増えるのは当然であろう。

周りの人間からは、博士のプライドは、博士の側の「問題」であるとされる。博士は問題児扱いになるのである。周りは、博士のプライドを尊重するよりは、博士のプライドを早く破壊して、優秀な兵隊さんになる方が、博士のためだという態度をとる。これは、多くは善意から来るものだが、博士にとっては、恐ろしい圧力である。善意から来る圧力ほど、恐ろしいものはない。

プライドを捨てた方が楽になって幸せになれるというのは一般論としては正しい。しかし、博士には正しくないだろう。もしそうなら、最初から博士になる必要はないはずだ。プライドが少ない方がよいというのなら、博士という学位もなくした方がよい。余計なプライドは不要という一般論が博士にもあてはまるのなら、最初から博士自体を廃止すべきなのである。

しかし、博士自体は増加させるというのは、国の政策なのだ。しかし、日本社会では、多くの人が博士のプライドを破壊しようとする。国の政策と、人々の政策は正反対であり、博士はそれに引き裂かれることになるのである。人間の自己実現というものを無視した、日本社会の圧力である。

これは、博士に自害を求めるに等しい。苦しんで自殺したり、投げやりになってしまう博士も多いだろう。ポスドクの死者、行方不明者が多いのは、日本社会の特性が関係しているのである。

本当に残酷なことは、最初からプライドが低い人にプライドを捨てさせることではない。博士という専門教育でプライドを増加させた後に、それを捨てさせる、そのプライドの落差により引き裂かれるのが残酷なのである。ポスドクの死者、行方不明者の本当の原因はプライドにあるだろう。

ポスドク問題では、博士のプライドの問題がもっと議論なされなければならないだろう。苦しみは金銭的なものだけではないのである。
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