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技術職人の地位向上

技術職人の作ったすばらしい芸術品を見ると、技術職人の地位向上について考えさせられる。

技術職人の作品は、王や貴族に献上され、王や貴族の権威を高めた。

王や貴族には、技術職人を手厚く遇した者もいる。

しかし、技術職人のことをあまり保護しなかった者もいる。

牢屋に技術職人を閉じ込めて無理やり作らせた者もいる。

技術職人の地位向上は、その時代には省みられなかっただろう。

美しい芸術品を作ること自体に喜びを見出して、地位向上は必要がないという考え方もあるだろう。

技術系は清貧であるべきだという思想である。

しかし、技術職人はそのような清貧を喜んだのだろうか。

歴史の中の技術職人には、地位向上運動があったのだろうか。

理工系の地位向上には、今も昔も変わらないものがあるのかもしれない。

地位向上なんて世俗的なことより、美しい美術品を作ることが大事だという考え方もあるだろう。

美しい美術品は残った。技術職の技術へのこだわりと情熱は歴史に残る美しい美術品に結晶したのである。

しかし、やはり納得できないものが残る。その時代の王や貴族が権力を誇示するために、美術品は使われた。

技術職の匠の技は、権力のために使われ、力のない者を抑圧するために使われたのかもしれない。

そんなことはどうでもよいことかもしれない。

これは、もしかしたら技術者倫理につながる問題かもしれない。

しかし、技術職人はそのようなことよりも、美しい作品を作るのに夢中だったのだろうか。

歴史の中に、技術職人の地位向上運動はあまり残っていないだろうか。技術職人の連帯が唱えられたことがあっただろうか。

パトロンとして、技術職人の地位を向上させようとした貴族はいた。技術職人のことを真剣に考えていた人もいたであろう。

美しい美術品それ自体を愛していた純粋な人々もいたであろう。技術職人を国の宝として処遇したパトロンたちもいた。

その一方で、技術職人の作る美術品に興味はあっても、技術職人自身には興味のなかった者もいたであろう。

技術職人の名前は歴史に残っている場合と残っていない場合がある。名前が知られていた技術職人には、裕福な者もいた。

その一方で、技術職人には、不遇に苦しんだ者も多かった。

不遇に苦しんだ技術職人は、連帯して地位向上運動を行なっただろうか。技術職人の連帯や、理工系の連帯の考え方に至ったであろうか。

美しい美術品は、そのような地位向上運動とは無関係に輝き続けている。

美術品を見て、地位向上運動って何なのだろうと、とりとめもなく考えてしまう。